Carl Zeiss

小さな頃、父は大きな一眼レフを持っていた。

「このレンズはCarl Zeissといって、すごくきれいに撮れるんだ。」
小学生のぼくは、写真を見ても、違いが分かるはずも無かったが、なぜかその台詞だけはずっと記憶に残っていた。

大学生になり、国産のコンパクトカメラを買った。 それなりに綺麗に写ったし、何の不満も無かったが、
いつの間にか無くしてしまった。

買い替えのため、いろいろ調べるうちに、懐かしいCarl Zeissのレンズをもった京セラのコンパクトカメラを
見つけた。 ほかの3倍くらい高かったが、カタログの写真が印象に残り、アルバイトをして、購入した。

現像して、びっくりした。 

まえのカメラとは、明らかに違った表現をしていた。
ほんとにしょうもない、猫や海、友達なんかのスナップだったが、不思議な光を放っていた。

寒い海で撮った写真は、そのときのひんやりとした冷たい空気、冷たい青空のにおいを放っていた。

暖かなリビングでとった猫の写真は、ストーブのモワッとした熱気を含んでいた。

レンズって、すごいなと思い、たくさん撮った。

しかしその後デジカメが主流となり、ぼくも安価なデジカメを使うようになり、そういった写真への気持ちも
忘れていった。フィルムの頃は、一枚一枚現像代もかかるし、一生懸命撮ってた気がするが、デジカメになってなにも考えずシャッターを押しまくって、消していくという撮り方が当たり前になっていた。
ある日、sonyのZeiss搭載のデジカメを期待して買ったが、昔のフィルムの写真に比べようも無い、普通の写真でガッカリした。


2年前、デジタル一眼レフを買い、また綺麗な写真が撮れる様になり、楽しくなった。

あるときネットで、Zeissのレンズが僕の一眼レフにも付けられることが分かった。
f0202446_1153379.jpg

「Zeiss」 心がグラッと揺れた。
でも、カメラ本体くらいの値段がする。 さすがに躊躇した。今のレンズもそれなりにちゃんと撮れてるし。

最も欲しいものの一つである、ソルティガ4500とガチンコ対決価格。

しかし、物欲とは恐ろしいもので、毎日毎日心の中で、Zeissが大きくなる。
「Zeiss」 ネット検索の日々が続く。心を揺さぶる素晴らしい写真達が踊っている。

どんどん自分を正当化するセリフが心を支配する。
「娘の成長は、最高の被写体だよね」
「今しか撮れないよね。」
「一生ものだし、そう考えたら高くないよね。」
「カメラ変えても使えるしね。」
「ソルティガは家族と楽しめないもんね。」

とうとう、価格comの、核ボタンを押してしまっていた・・・・・


到着したレンズは、アルミ削りだしの、ひんやりした、ものすごく重い工芸品だった。
レンズフードもアルミで、装着すると、まるで精密機器を組み立てたような、「カキン!」と音がする。

MFなので慣れなくて、ピンボケばかりだが、ビシッとあうと、昔感じた「空気感」を閉じ込めた一枚がとれてくる。10ヶ月の娘は1秒も停止してくれないので、撮るのは恐ろしく難しい。


でも、写真をとる喜びを感じた。あたたかな家族の空気を、写真に閉じ込めてくれるZeiss。

自己満足の、小さな小さな世界だが、家族の笑顔、娘の成長、島の生活を少しずつ撮りためていこう。

きっといつか、このレンズで記録しててよかったと思えるだろう。
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by hokkyoku2 | 2009-05-26 10:31 | 生活
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